ルーツを辿れ
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先日、社員のご祖母様が亡くなり、彼は葬儀のため地元へ帰った。それを聞いた時、残念だと思うと同時に「おばあちゃんに会わないといけない」と強く思った。幸い私のおばあちゃんはまだ健在で、母方が愛知県の豊橋市、父方が稲沢市に住んでいる。私はすぐに連絡をして、8月9日に二人に会いに行った。
皆さんに聞きたい。おばあちゃんと二人きりで話したことはあるだろうか?私は無かった。子供の頃は親や二人の弟とおばあちゃんの家へ遊びに行ったが、膝を突き合わせて話すことなどついぞなかった。でも今しかないと思ったから、行った。
昼頃に豊橋のおばあちゃん家に着いた。長女を私の母に預けて、色々な話を聞いた。おばあちゃんは八人兄弟の下から二番目だったこと、おじいちゃんは十人兄弟の一番上だったこと。おじいちゃんは数年前に脳梗塞で亡くなったが、子供の頃の私にとって怖い人だった。はつり職人(コンクリートを壊す仕事)だった若い頃はそれどころではなく、雨が降れば休み。そうなると仕事がないから一升瓶を抱え、時には暴れることもあったという。おばあちゃんもキッチンドランカーで、時にはウィスキーを一瓶空ける日もあった。私の母は気性が激しいがそれは昔からで、彼女の姉がいじめられると全力で立ち向かっていたらしい。そして「裕也はお母さんに一番似ているよ」と言った。
夕方、稲沢のおばあちゃん家に私一人で行った。最近泣き言が増えてきたと両親から聞いていた。おばあちゃんは今の自分の身体の状況や、毎日何をしているかを話しはじめ、自分が後悔していることについても語った。おばあちゃんが若い頃、父が子供の頃の話もたくさん聞いた。私は小さい頃、いたずらの限りを尽くしていた。母は気性が激しいので、度を過ぎると当然怒った。父は基本黙っていたが、私がさらに度を超すとキレて怒鳴ったし、時には殴られた。私は父が怖かったし好きではなかった。むしろ父の弟であるおじさんの方が好きだった。おじさんは無口で不器用な父とは違い、ギターがうまくて頭も良く、そして優しかった。正月にはポーカーを教えてくれたり、バンドがやりたいと言ったらギターセットを買って送ってくれた。父にそんなことをしてもらった記憶はない。しかし稲沢のおばあちゃんの話を聞いていたら、父の父、つまりおじいちゃんの子育てにも確実に欠陥があると思った。要するに徹底的無関心である。給料日に全て給料を使ってくるような男であった。(もちろんいいところもあったが)おばあちゃんも、私の父に十分な愛情を注いでいなかったと泣きながら語った。そしておじいちゃんとおばあちゃんも、彼らの両親から放置されて育っていたし、おじいちゃんの母は十人目の子供を生んですぐに亡くなっていて、ずっと食うや食わずの生活であった。私は何一つ、知らなかった。
本当に、大変な時代だったんだと思う。でも私はそんなことをつゆ知らず、周りの優しいパパを見て、なんで俺の親父はこんなに不愛想なんだと思っていた。なんであいつの家は毎月スーパーファミコンのソフトを買ってもらえるのに、俺の家は誕生日だけなんだ?なんで俺は東京の大学に行きたいのに、一人暮らしのお金を出してくれないんだ?こいつは俺より馬鹿だったのに、一浪して早稲田に入って、高田馬場というところに住んでサークルに合コンに楽しんでいるらしい。俺だって絶対できたのに。
俺、俺、俺。今思えばつい最近まで、そればかりだった。でも子供ができてから少しずつ変わった。こんなに大変だったのか、これを三人もやってくれたのか。と感謝するようになった。当たり前の話だが、父が稼いでくれなければ私たちは学校に行けなかったし、母が根気よく教えてくれなければ全てを投げ出していたかもしれない。母は気性が激しいが、私への愛情は深かった。気性は丸くなったが、愛情の深さはそのまま孫に伝わっている。父は無関心で怖かったが、今では優しいおじいちゃんになった。彼のあんなにやさしい表情を子供の頃の私は見たことがなかったが、二人の娘は毎日見ている。娘は何の遠慮もなく父におもちゃや抱っこを要求する。私は怖くてできなかったが、もうこれでいいや、と心底思う。つまり、何事も時間がかかるのである。
おばあちゃんは「こんな話、裕也にしかしたことがない」という話をたくさんしてくれた。全て書くことはしないが、涙なしには聞けなかった。私が行動を起こさなければ、新川家(と西村家)の歴史はそこで終わってしまっていただろう。
おばあちゃんたちとの長い話を終え、私は高校時代からの親友との食事にタクシーで向かった。おばあちゃんは、暑い中玄関まで見送ってくれた。タクシーの運転手が「今の実家ですか?」と名古屋弁で聞いてきた。白状すると、東京ではタクシーの運転手に話しかけられるのは鬱陶しいと思っていた。でも「はい。実は今ね…」と先ほど聞いた話を、気付けば夢中で運転手にしていた。運転手は「分かるよ。子育ては本当に一瞬だし大変なんだけど、振り返るとあの時が一番楽しかったなぁ」と言った。私は全ての話がこみ上げてきて、鼻がツーンとなって、一言も話せなくなった。
人生に後悔していない人なんていない。だから、思い立ったら大切な人の隣に寄り添って、話を聞いてほしい。
私の経営するトナリズムグループのビジョンは「大切な人のトナリにいられる時間を増やす」である。
やっぱり俺は間違っていない。それ以上に大切なことなどこの世にない。
父、母、おばあちゃん、おじいちゃん、そして祖先。全員の後悔を、俺が大活躍して最高の思い出に変えてやるから待ってろよ。
お盆ということで、皆さんも、ご家族の、もしご存命ならおじいちゃんおばあちゃんの話を聞いてもらえると、大きな発見があると思います。
それでは、良いお盆を。
※トップの写真は二人のおばあちゃんと