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世界初のラジオICを開発。川崎から世界へ

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公開日:2024.11.06

皆さんの将来の夢は何ですか?そしてその夢は子供の頃から変わっていませんか?私の夢はプロのミュージシャンでした。ミュージックステーションというTV番組で、Mr.Childrenの桜井和寿さんが歌っている姿を見て、「この人はなんてかっこいいんだ、俺もこれになろう」と思いました。小学生の頃です。今でも壁にぶちあたった時はMr.Childrenの曲を聴きます。本当に全部好きですが、有名な曲だと「名もなき詩」が大好きで、数えきれないほど聴き、多くの場面で助けられてきました。この場を借りて、ありがとうございます。

 

ミュージシャンの夢を抱いていた私は、地元の公立中学に進みました。なんと叔父(父親の弟)が大学時代にバンドをやっていたということで、愛知県稲沢市の祖母(今も健在)の家で、叔父がライブをしているビデオを見ました。ところで皆さん、VHSって知っていますか?今はネット配信が当たり前ですが、当時はそのVHSをプレーヤーに入れて見ていました。懐かしい。そしてそのビデオを見てまた衝撃を受けます。「いやいや、叔父めっちゃギターも歌もうまいやん!なんだこの人は」。叔父のバンドはいわゆるブルースやロックンロールと言われるジャンルでした。そして叔父からジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンなどの超かっこいいアーティストを教えてもらい、ついでにギターも買ってもらっちゃいました笑。ギター、アンプ、チューナー(音を調整する機械)などがついた初心者セットでしたが、本当に嬉しかったな。私の初めてのギターは、ジミ・ヘンドリックスと同じ、黒のストラトキャスターでした。

 

私の父は仕事が忙しく、子供の頃の私にとってはとても怖い人でした。新川家は長男の私、次男、三男の三人兄弟で、両親が若い頃からの子供です。子供を二人持った今であれば、当時の両親の大変さは想像できますが、何せ「24時間働けますか?」の時代です。平日に父親がいないのは当たり前、いたずらしまくる三兄弟に母親がキレて、それでもふざけ続ける我々に我慢の限界を迎えた父親がさらにキレる、みたいな感じでした。振り返ると普通ですが、当時は「俺は絶対に親父みたいにはならない」と固く誓っていました。「俺は誰でもできるサラリーマンには絶対にならない。俺はこのギターと歌で成り上がって、金持ちになって、女性にもモテまくり、大成功するんだ」とそう深く信じて、ギターと歌の練習に明け暮れることになります。

 

そして15歳でSONY MUSIC ENTERTAINMENTのシンガーソングライター部門で優勝し、16歳でデビューシングル「Lower」でデビュー。

 

・・・と順風満帆にはいかないのが人生ってものです。15歳で~のくだりは嘘です、ごめんなさい。一方で初めて作った曲はLower(より低みへ)。恥ずかしい。あと20代前半の頃、SONY MUSIC ENTERTAINMENTのオーディションで楽曲審査に通って、審査員の前で演奏したことがあります。これは自慢。

 

さて話は戻って中学生には誘惑が多く、ギターは結局一年くらいで飽きてしまいます。(早い笑)。その後はスケボーや洋服を好きになったりしながら、地元の公立高校に進むことになります。私が進んだ高校は愛知県の五条高校で、かなり教育熱心で有名でした。「ゼロ時間目」がありましたからね。当時は反抗していましたが、今思うと先生のプロフェッショナルさに頭が下がります。何もかも振り返るとありがたいことばかりですよね。そしてその後に、愛知県の南山大学人文学部心理人間学科へ進みます。

 

心理人間学科と言うと、たまに驚かれます。確かに同級生には志高く心理カウンセラーを目指している人もいましたからね。一方でなぜ私が心理人間学科を選んだか?それは「サラリーマンになりたくなかったから」です。そう、私はまだこじらせていたのです、不治の病、「厨二病」を。振り返ると「心理人間学科に進む=サラリーマンにならない」は全くロジカルではないのですが、当時の私に高尚なロジックなどを求めるのは勘弁してください。一方で私立文系の王道である経済学部に行ってしまったら、周りに流されて就職するだろうな、と思ったのもまた事実です。

 

私の心の変遷をこの記事で書こうとすると長編小説になってしまうので(いつか書きたい)、ここからはスピードアップします。結果私は大学入学後、押し入れからギターを取り出し、またバンド活動にハマりました。NIRVANAという激しいロックバンドに分かりやすく影響を受け、ロン毛にして、でかいサングラスをかけ、ボロボロのジーンズとネルシャツを着るようになりました。ここでも私のあまのじゃくぶりは爆発し、部活やサークルには入らず、自分でメンバーを集めました。同じ学科の私と同等に変なヤツがドラマー、彼の高校の友達がベーシスト、バンド名は「NUDE MELLOW(美しい裸)※恥ずかしい」。大学のバンドといえば、プロのアーティストの曲を演奏するコピーバンドが多いですが、我々は「コピーなんてロックじゃねえ」という謎の理論を持ち出し、最初から私の作ったオリジナル曲をライブハウスで演奏するようになります。(この時に初めての曲、「Lower」が生み出される笑)

 

導入長すぎですか?皆さんついてこれてますかね?笑。もっとスピードアップします。大学時代の私はバンド、文学、映画、(そして恋愛。いい恋だった)にのめりこみ、とにかく良質なものをインプットし、良質か分からないけど、それを音楽でアウトプットしていました。ちなみに私の卒論は小説で、自分で多重録音した曲をかけながら発表しました。(よく卒業できたな)

 

社会人になった後も、プロを目指してバンドを続けていましたが、仙台への転勤を機に当時一番力を入れていたバンドを辞めました。これで私も100%ピュアサラリーマンです。絶対になりたくなかった父と同じになってしまいました。しかしそこから仕事が面白いのなんの。このあたりは他の記事にも書いているので、ぜひ読んでみてください。こんな気持ちで父も仕事していたんだよな。仕事は大変なこともあるけど、本当は楽しかったから帰りも遅かったのかな、なんてことを考えて父に感謝できるくらいには大人になりました。そして私は再びギターを押し入れに戻して仕事にハマり、好きな人と結婚し、上京して外資系半導体商社へ転職します。

 

その会社での仕事は、大きく私を成長させてくれました。最初の上司は今でもお世話になっている方で、業界の大先輩です。彼が去った後、2人の外国人上司に恵まれました。「外国人上司って、新川さん英語しゃべれたの?なんだよ、色々言ってるけど帰国子女のボンボンかよ」と思ったそこのあなた、安心してください。純ジャパですよ。めちゃくちゃ必死で勉強しました。その外国人上司も二人とも、今でも悩んだ時に相談する仲です。本当にありがたい。

 

紆余曲折あり、2018年にトナリズムを起業します。このあたりの背景も他の記事に書いているのでぜひ読んでほしいです。端的に言うと、会社員のままでは解決できない3つのモヤモヤがあり、それを起業して解決したかったのです。

 

① 「俺は本当に顧客に寄り添えているのか?」という疑問があり、本当に顧客の隣に寄り添うサービスを展開したかった。
② 2018年にAirbnbで友達とバンコクの高層マンションに泊まり、夜景を見て人類の進歩に感動した。「この光を一つでも隣に増やしたい」と思った。
③ 日本の製造業が弱くなっている原因の一つに、無駄な仕事が多いことがあると思っていた。それを半導体ソリューションで解決し、大切な人の隣で過ごす時間を増やしたい、と考えた。

 

この3つのモヤモヤに共通する言葉は「隣(トナリ)」。俺は人生を賭けてこれらをすべて解決するんだ、という気持ちでトナリズムという社名にしました。

 

恥の多い生涯を送ってきた私。そして文章を書くのも自分自身も大好きな私ですから、自分のことを書き出すとキリがありません。いつも駄文を読んでいただき、ありがとうございます。

 

最後に、当社トナリズムが1年半かけて開発した、最高の商品を紹介させてください。FMステレオ受信ラジオ用IC(集積回路)「TNR0124QF」です。この商品はFMラジオの電波を受信するICで、ラジオの中で最も重要な部分を担います。消費電力はわずか8mAで、世界一低消費電力。従来品と比べると約50%の電力を削減できます。FMだけしか聴けないの?と思われたかもしれませんが、実はAMは2028年に無くなる予定で、現在でもワイドFMという機能を使えば、AMが聴けます。当社のラジオチューナーICはもちろんワイドFM対応です。

 

2011年3月、東日本大震災で日本は死者15,900人という甚大な被害を受けました。「父親がラジオを聞いていて、津波が来るから避難すると言って、車に乗せられ逃げた。父親のおかげで助かった。」これは福島県で被災された方の言葉です。

 

震災から13年が経過した今、スマートフォンやラジオアプリの普及により、ラジオ本体の利用者が減少しているのが現状です。しかし、災害時には通信網の混雑が発生し、インターネットで得られる情報には不確実なものも含まれます。一方、ラジオの情報は信頼性が高く、災害の多い日本には必要不可欠な存在です。東日本大震災では、停電中に必要な情報を得るために84.3%の人がラジオを利用していたことからも、その重要性が明らかです。

 

このような背景から、災害時におけるラジオの重要性を再認識し、防災ラジオに搭載できるICを開発することに決めました。この製品は、単四電池1本で120時間以上の連続駆動が可能で、災害時の不安な状況においても、5日間にわたって使用できます。また、防災ラジオへの実装だけでなく、スマートデバイスやIoT機器への実装も可能で、多様な場面で活用できる製品です。

 

日本の面積は世界の0.25%しかありませんが、日本は世界でも有数の地震大国。世界で発生する地震の10~15%が日本で発生しています。そしてマグニチュード6以上の巨大地震の発生は、世界の20%にも達します。日本に住む限り、地震から逃れることはできない、と言えるでしょう。

 

もちろん、地震や他の災害が起きないに越したことはありません。私もそれを願います。しかし、もしも災害が起きてしまった時は、私たちが開発したラジオチューナーICを搭載したラジオが、あなたの隣に寄り添い、必ず正確な情報を届けます。詳細なスペックはこちらをご覧ください。サンプルは今年の12月から提供可能です。以下のご要望をお持ちの方は、ぜひご連絡ください。

 

① 当社のラジオチューナーIC(以下本製品)を使ってみたい(サンプルからでも大歓迎です)
② 本製品と周辺部品を実装した基板ごと納品してほしい(EMS)
③ 本製品を使ったラジオ本体を作ってほしい(OEM・ODM)
④ 本製品をベースに、新しいラジオや他の電子機器を当社と共同開発したい
⑤ 本製品以外のアナログ半導体を当社に開発してほしい

 

本製品は、開発責任者の木村をはじめとした、担当者たちの圧倒的努力から生まれました。またパートナー企業にも散々無理を言わせてもらい(その節はすみませんでした)、妥協を許さない完璧な、世界一の仕上がりになりました。商品へのお問い合わせは、開発責任者の木村までお願いします。

 

開発責任者:木村
Mobile:080ー4112ー5066 / Email:makoto.kimura@tonarism.co.jp

 

木村はもちろん、私に直接XやLinkedInのDMでも構わないので、少しでも気になる方は、ぜひご連絡ください。

 

私たちはこれからも、半導体ソリューションで世界を進化させ、大切な人のトナリにいられる時間を増やしていきます。

 

トナリズムを起業して7期目。負け惜しみではなく、「ミュージシャンになれなくて良かった」と思うことが増えました。それだけ自分たちが今取り組んでいる事業に誇りを持っています。

 

4,700文字を超えました。読んでくれて、ありがとうございます。これからも「半導体業界を誰よりも分かりやすく」解説したり、ポエムを書いたり、たまには会社の商品も宣伝させていただきます。私たちの開発したFMステレオ受信ラジオ用IC(集積回路)「TNR0124QF」が、皆さんの「トナリ」でお役に立てますように。

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